![]() やはり走るように書きたい。
by shuzot16 カテゴリ
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連休明けの11日と18日、右眼左眼の白内障の手術を受けた。
72歳の誕生日の直前であったが単なる老化現象ということで 女房はごく当り前という顔で見ていた。 水晶体にあった白い濁りをレーザーで取除いて そこに新たにレンズをかぶせる10分程度の手術だった。 手術の直前に幸福君が数年前に言っていた、 かぶせるレンズを右と左遠目用と手許用に使分けるといい ということを思い出した。 これがうまくいけば眼鏡なしの生活になるはずだが、 まだ調整中で運転は楽になったが、 新聞は眼鏡なしではやや不自由だ。 幸い石川先生に紹介してもらった名医の眼科医がわが家から 歩いて行けるところで助かった。 手術前に20~30の膨大の検査を受けたがこれが実に システマチックに進行してあふれるような患者が処理されていた。 膝の具合が良くなったり悪くなったりの一進一退であるだけに これからの視界の進展がとても楽しみだ。 ゴールデンウイークの最終日わが二歩会は八ヶ岳山麓を訪ねた。
中央線小淵沢駅に集合した7人はタクシーで富士見高原に向かった。 武田信玄が造ったと言われる軍用道路・棒道を広沢のペンション村から スタートしたが、すぐに雨が激しくなり近くのペンションに避難した。 親切なオーナーのもてなしで美味しいコーヒーをいただき、これから歩く棒道の講釈を受けた。 棒道は甲斐の国から信州へ抜ける棒のように真直ぐに伸びる道で、 信玄の騎馬軍団が幾度となくここを駈抜けたそうだ。 雨でしっとりと濡れた棒道はクッションも心地よく6kのコースを 3時間かけて小海線の甲斐小泉駅にたどりついた。 二日目は清里駅で高木君と合流して野辺山駅から飯盛山を目指した。電波望遠鏡の巨大なアンテナを横目に登山口に到着した。 鶯のさえずりを聞きながら登ること2時間で突然展望が開けたら平沢山山頂だった。目指す飯盛山はもう目の前に見える。 釜飯の昼食を味わったがこれをひっくり返したような1643mの飯盛山。 眼前に残雪の八ヶ岳連峰、はるかに甲斐駒ケ岳を従えた南アルプス。 富士山こそ見えなかったが東に甲武信岳など甲斐の山々が続く。 飯盛山の北斜面はレースで何回も通ったことのある野辺山スキー場だった。帰路は急峻な南西面を清里駅に急いだ。 岡部隊長のひらめきで棒道と飯盛山の日程を入替えたのが良かった。スタートの小淵沢駅にもどった8人は蕎麦屋で盛大に打上げた。 代表の続投宣言をした稲田君が体力アップのために二歩会にはこれからも参加すると元気だった。 参加者:稲田・大森・岡部・小林・高木・田中(文責)・藤村・依田 今日は久々に姪の結婚式に参加した。
新横浜から近い会場でそぼ降る雨もまったく苦にならなかった。 100人近い参列者をあきさせないシステムには感心したが、 これも若い感覚とテレビ強く影響された結果であろう。 まるで教会を思わせるような建物、ゴスペル調で賛美歌を歌うコーラス、 マジシャンをかねた軽妙な司会者。 しかもスピーチをする人の数を極端に減らし、 情報収集が行き届いた司会者が淀みなく進めていった。 クライマックスは大きな風船玉から飛出してきた新郎新婦。 入社4年目の東芝同期入社の二人には次にどんな転勤があるのか、 その辺は挨拶の上司が微妙に匂わせていたが・・・。 やはり大企業東芝の社員が多かったせいか、 オーソドックスな服装の人が目についた式であった。 年取った私からは異次元ウエディングにも見える、 それでいてあっという間に終わってしまった3時間であった。 ディズニーウエディングといったところだろうか。 先週はショッキングなことがあった。
毎週通っている整骨院の大庭先生に、手術した左脚の太腿の筋肉が 細くなっていると言われてしまった。 今月はすでに200k走って歩いている。 しかも左脚は右脚より2倍くらいウエイトレーニングをいているのに。 大庭先生いわく、左膝をかばっているので左脚が使われていない。 だから左膝にサポーターをして左脚をもっと使え、 ランニングよりプールでのウォーキングを優先せよ、とのこと。 まじめにアドバイスを実行して接骨院に出向いたら今日はほめられた。 左脚の太腿はわずかであるが太くなっている。 その結果左くるぶしの張りがなくなっている。 しかも背中の張りが出てきているがそれは腰を使っているからだと・・・。 今日は春風のようにいい方に回転していて気分よくした。 人間なんてちょっとしたきっかけで良くも悪くもなるもんだと、 しみじみと感じた一日であった。
3月19日10時湯河原駅に集合した七人衆は、
1180年頼朝軍が石橋山合戦で惨敗して逃げまどったであろう道を、 とぼとぼと最初の目的地城山に向かって行軍した。 標高563mとはいえ相模湾に雪崩落ちるような急峻の城山。 山頂すぐ近くの土肥城址にたどり着いた時はすでに12時を回っていた。 眼下にはこれから行くつもりの真鶴半島が見渡せたが、 約束に間に合わないと慌ててタクシーを呼出し真鶴駅へ向かった。 ボランティアガイドと落ち合って真鶴半島を巡り歩いたが、 頼朝はここ真鶴岬から土肥実平の手引きで たった主従七騎で安房の国へ逃げのびたそうだ。 徒歩の老兵は足を引きずり磯料理屋へ雪崩込んだら とうに3時は過ぎていたがどうにか息を吹き返すことが出来た。 大森康晴・岡部敬・幸福紀生・藤村紀明・三沢隆久・依田隆夫・ 田中収三(文責)の七人の侍でした。 昨日さやかと千晴3人で市谷から豊洲を経由して有明まで
東京マラソンの応援に出かけたが、 好天気のせいかランナーが気持よさそうに走って眩しかった。 今日の昼ころ生麦の鍼灸院に行ったら若い先生に 「田中さん東京マラソン走ったんですね」と言われてびっくり。 そうか私が代走を頼んだ榎本俊雄さんの記録が残ってるんだと あわててチェックしたら4時間35分でフィニッシュとあった。 先週一緒に受付に行った布宮博孝さんが4時間33分、 青木博さんが4時間38分と堂々たるタイムが並んでいる。 私よりほんの少し若いだけのシルバー三人衆の力が ここでも眩しく光輝いている。 まだまともには走れない私には影武者には遠く及ばないが ここではっきりと目標が設定されたような気がしてきた。 先週伊東市郊外の大室山の山焼きに行ってきた。
山すそに順次点火されるとまたたく間に火焔は山を駆け登り、 あっという間に全山を焼きつくし黒こげの山肌が残った。 枯れ草が爆ぜる音は春を待ち望む叫びのようで、 春の息吹を感じさせる熱風で顔は火照った。 ふた月もすると新緑の山に生まれ変わるそうで楽しみだ。 15分のショータイムが終わるころ 突然火の中から狐が逃出してきたのにはびっくり。 行き帰りのバスは渋滞でかなりの時間をロスしたが、 駅前の回転すし屋で地の肴を堪能出来た。 恒例の横田基地でのフロストバイト・レースに孫の千晴と参加した。
昨年もエントリーしていたが手術してすぐで棄権したが、 今年は何が何でもスタートライン立とうと5kレースに挑んだ。 案の定ランニングは100mくらいしか続かず歩いたり走ったりの 繰り返しであったが、何とかゴール出来た。 タイムは48分、このままのペースで行けば来月の東京マラソンの 7時間の関門をクリアー出来るが現実性は遠のいたような気がする。 走るか走らないかは来週主治医の山岸先生との話で決める つもりだが、何だかとても清々しい気分だ。 今シーズンはこんなものでも来シーズンへ明るさが見えて来た。 それと小学校3年の千晴が2kを9分で走ったのが楽しみだ。 兄の夏生と違ってランニングが嫌いではないらしく、 来年は一緒に5kを走ることを約束してくれた。 千晴のひた向きな姿勢と明るさがいっそう勇気づけてくれる。
ことしの正月は音楽会づいていた。
4日は上野の文化会館で寺田まりちゃんのピアノリサイタル。 日本デビュー15周年記念だそうで、 最後のムソルグスキー作曲の「展覧会の絵」はオーケストラでも 演奏される大曲であるが、 これを10曲一人で弾き切ったのは圧巻であった。 つぎは内藤彰の東京ニューシティオーケストラ恒例の NEW YEAR CONCERTで王子のさくらホールへ。 ドナウ河がコンサートのテーマで、 若い曽我大介は「ハンガリー狂詩曲」や「ルーマニア狂詩曲」を 狭い指揮台の上で踊るように振っていた。 最後はすぐ近くにある神奈川大学吹奏楽の定期演奏会だ。 何度も吹奏楽コンクールで金賞を取っているだけに みなとみらいホールを迫力あるサウンドで揺るがした。 スメタナの交響詩「わが祖国」に続いて、 アンコールの「星条旗よ永遠なれ」では両袖から ブラスバンドも参加して鳴り止まない拍手で幕となった。 三つのコンサートとも弥生のアレンジでありがたかったが、 弥生は来週も紀尾井ホールでの予定が入っているそうで うらやましい限りだ。
まだ五日、今年の正月はとても長く感じる。
二日の兄弟会では甥・姪と子ども達30人が集まった。 その余韻が家にはまだ残っているが、 突然現れた獅子舞が我が家の庭先で舞ってくれた。 舞納めに大きな口をパクリとして怖い顔の獅子頭を脱いだら 少年の童顔が現れてびっくり。 今年の目玉はなんと言っても姪の美緒が連れてきたフィアンセ。 去年の新入社員1200人の中で巡りたった二人だそうだ。 奇跡的なカップルが兄弟会にフレッシュな風を 吹きこんでくれて幸先のいいスタートが切れた。 小樽出身の吉岡祥平くんに乾杯。 < 前のページ次のページ >
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