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やはり走るように書きたい。
by shuzot16
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霞ヶ浦の南岸をひたひたと予科練の道

なんと幹事の大森君が下見をしているにもかかわらず急病で参加をキャンセル。
絶好の日和を不意にしてしまった。3月24日土浦駅を出発した13人は蒼天のもと、
遮るもののない霞ヶ浦の岸辺を強風にあおられながら突き進んだ。
桜並木は息を吹きかければ今にも咲きそうな膨らみかけた蕾をつけていた。

初めの目的地・予科練記念館は阿見町の自衛隊武器学校に隣接していた。
昭和14年予科練は「飛行予科練習部」として横須賀よりこの地に移転された。
予科練には終戦までの15年間、14歳から17歳までの若者24万人が入隊、
特別攻撃隊として出撃したものも多く8割の人が亡くなったそうである。
土門拳がとらえた訓練風景の写真もあったが、きょう見学しているわれわれの
60年前の年と重ね合せると、なんのための入隊であったか複雑な思いである。
記念館のわきの庭で昼食をとったが、ホノルルマラソンのおり真珠湾の記念館を
見学したあとのようにしゅんとしてしまった。

●予科練館ビニール舞いし春嵐

はるかに辛夷の花を望む広々とした里、土手には土筆が摘み取られる待っている
かのようで、同行の乙女たちが待ち切れずに手を伸ばしていた。
霞ヶ浦越しに眺める筑波山はスタート時より大きく見えてきたのは不思議であった。
新屋敷でマイクロバスにピックアップしてもらい佐原を目指した。
途中JRAの美浦トレーニングセンターに立寄った。あまりのスケールの大きさに
目を見張るものがあった。厩務員のための4階建ての宿舎が20棟も立ち並んでいた。

早々と佐原の「うなぎ割烹長谷川」に到着、所要のある高木君・石川さんとは別れた。
ふっくらした大ぶりのうなぎはさすがに本場の味、ほろ酔い加減で藤村・三澤・幸福・
今尾・西川君・清水さん6人が高速バスの人となって、いよいよ精鋭5人が残った。

江戸・明治の時代の商家や倉が建ち並ぶ小野川のほとりの日本旅館に投宿した。
2日目はガイドがせまい佐原の街を案内してくれたが目玉はやはり伊能忠敬だ。
伊能家に婿養子になった忠敬は佐原の名主として家業を繁栄させて49歳で隠居。
江戸で天文暦学を学んだあと55歳から全国の測量を始めて20年間で、伊能図と
言われる日本全土の正確な地図を残すことが出来た。

午後は窪田君の住友金属時代の友人の紹介で香取神宮を案内してもらった。
日本には神宮と呼ばれる神社が24社あるそうであるが、香取神宮は大和朝廷時代
以来の東の出張所として重きをなしていたそうである。
予定外の潮来の水郷巡りを思い立ったがこれはドタバタしたあげく時間切れとなった。
参加できなかった大森君の企画を引き継いだ岡部夫妻に大変世話になってしまった。
予科練のビニールの俳句は村形さんの思いをいただいたものであるが、最後に
鈴木真砂女の鴨川の天を眺めながら空飛ぶ恋人へ手を振ったシーンを再現してみた。

●強東風や真砂女の身空恋いのち (収三)
by shuzot16 | 2015-03-29 14:54
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