カテゴリ
全体未分類 以前の記事
2018年 03月2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 11月 2016年 06月 2016年 04月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 07月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 04月 2014年 02月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
霞ヶ浦の南岸をひたひたと予科練の道
なんと幹事の大森君が下見をしているにもかかわらず急病で参加をキャンセル。
絶好の日和を不意にしてしまった。3月24日土浦駅を出発した13人は蒼天のもと、 遮るもののない霞ヶ浦の岸辺を強風にあおられながら突き進んだ。 桜並木は息を吹きかければ今にも咲きそうな膨らみかけた蕾をつけていた。 初めの目的地・予科練記念館は阿見町の自衛隊武器学校に隣接していた。 昭和14年予科練は「飛行予科練習部」として横須賀よりこの地に移転された。 予科練には終戦までの15年間、14歳から17歳までの若者24万人が入隊、 特別攻撃隊として出撃したものも多く8割の人が亡くなったそうである。 土門拳がとらえた訓練風景の写真もあったが、きょう見学しているわれわれの 60年前の年と重ね合せると、なんのための入隊であったか複雑な思いである。 記念館のわきの庭で昼食をとったが、ホノルルマラソンのおり真珠湾の記念館を 見学したあとのようにしゅんとしてしまった。 ●予科練館ビニール舞いし春嵐 はるかに辛夷の花を望む広々とした里、土手には土筆が摘み取られる待っている かのようで、同行の乙女たちが待ち切れずに手を伸ばしていた。 霞ヶ浦越しに眺める筑波山はスタート時より大きく見えてきたのは不思議であった。 新屋敷でマイクロバスにピックアップしてもらい佐原を目指した。 途中JRAの美浦トレーニングセンターに立寄った。あまりのスケールの大きさに 目を見張るものがあった。厩務員のための4階建ての宿舎が20棟も立ち並んでいた。 早々と佐原の「うなぎ割烹長谷川」に到着、所要のある高木君・石川さんとは別れた。 ふっくらした大ぶりのうなぎはさすがに本場の味、ほろ酔い加減で藤村・三澤・幸福・ 今尾・西川君・清水さん6人が高速バスの人となって、いよいよ精鋭5人が残った。 江戸・明治の時代の商家や倉が建ち並ぶ小野川のほとりの日本旅館に投宿した。 2日目はガイドがせまい佐原の街を案内してくれたが目玉はやはり伊能忠敬だ。 伊能家に婿養子になった忠敬は佐原の名主として家業を繁栄させて49歳で隠居。 江戸で天文暦学を学んだあと55歳から全国の測量を始めて20年間で、伊能図と 言われる日本全土の正確な地図を残すことが出来た。 午後は窪田君の住友金属時代の友人の紹介で香取神宮を案内してもらった。 日本には神宮と呼ばれる神社が24社あるそうであるが、香取神宮は大和朝廷時代 以来の東の出張所として重きをなしていたそうである。 予定外の潮来の水郷巡りを思い立ったがこれはドタバタしたあげく時間切れとなった。 参加できなかった大森君の企画を引き継いだ岡部夫妻に大変世話になってしまった。 予科練のビニールの俳句は村形さんの思いをいただいたものであるが、最後に 鈴木真砂女の鴨川の天を眺めながら空飛ぶ恋人へ手を振ったシーンを再現してみた。 ●強東風や真砂女の身空恋いのち (収三)
by shuzot16
| 2015-03-29 14:54
|