![]() やはり走るように書きたい。
by shuzot16 カテゴリ
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このところ大学回帰の日々である。
ひょんなところから昨日は優勝がかかる大切な試合の チケットをいただき、先日のデザ研OB・OG会で久々に再会した 中村・夫馬女史と観戦した。 しかも満員の神宮球場で偶然にも、 ランニングクラブで毎週顔を会わせている王古チャンと隣合せになって、 2点入ったときは肩を組んで「紺碧の空」を歌うことができた。 結果は斉藤佑チャンが先発したにもかかわらず一方的な敗戦、 今日も連敗して優勝はおろか4位に転落してしまった。 昨日は神宮外苑はこのほかラグビーの試合が二試合もあり、 人通りが絶えることがなかった。 次回のOB・OG会は野球かラグビーの応援を目玉にしよう。 10月24日ニッ歩会は鎌倉を変更して葉山で挙行されました。
参加された小林・元木・今尾・稲田・幸福・窪田・藤村・三沢・ 岡部の9人の皆様、 幹事の私目が1時間も遅刻して大変申し訳ありませんでした。 車中で矢継ぎ早に携帯が鳴り初めたときは何事かと 合点が行きませんでしたが、 集合時間がとっくに過ぎているのに私の姿が見えない。 私以外は全員そろっているということで、 バスの予定を徒歩で出発してもらい、 私はバスの中からのろのろと歩く皆様を発見してあわてて 途中下車、ようやく合流することが出来ました。 御用邸前から仙元山・三ケ岡山の予定のハイキングコースへ。 雨がポトリポツリと降るなか皆様の表情がなんとなく硬い。 私のポカミスは電車時刻の検索で出発時間と到着時間を 入れ違ったためですが、「そんなことよくある、明日はわが身」 と慰めてくれるが打上げでケリをつけてくれれば・・・とチクチク。 ゴールの近代美術館で葉山ビールをたしなんでもらい 相模湾の眺めにはうっとり。 打上げは大船のかんのん食堂でしこたま飲んでいただいた。 罰金刑も覚悟していましたが最後は名会計の小林様の ワリカン策によりめでたく散会とさせていただきました。 (文責:よれよれ幹事田中収三) 昨日は「お帰りなさい、思い出の母校へ」の言葉に誘われて、
大学のホームカミングデーのセレモニーに参加した。 久々に歌う都の西北に涙腺が緩みかけたが、 鬼籍に入られた校友への黙祷では、 昨秋亡くなった中村勝次君を思いハンカチを濡らしてしまった。 その後校内の教室でデザイン研究会のOB・0G会を催した。 往時は新入部員200人以上集める人気クラブの デザ研であったが10年ほどで消滅してしまった。 さらに10年後第二世代のデ研と呼ばれるクラブが再興され、 バブルがはじけてふたたび消えてしまった。 浮き沈みの激しいクラブであったが昨日は40年ぶりの 再会に65人が顔を見せてくれた。 CIの権威である先輩の中西元男氏による早稲田の university identityの開発プロジェクトの話しがあったが、 おなじみザブトン帽がデザインの基本になっていた。 2次会は新宿の蕎麦屋さんを借切って大いに盛上がった。 大阪・札幌からの参加もありアメリカ人の会員もいた。 連帯感をひしひしと感じて閉会になってしまったが別れがたく、 再度の開催要望とねぎらいの言葉をいただいた。 これもすべては故中村君通夜の席での話しが発端である。 長かったシルバーウイークが今日で終わる。
前半は薄情者と言われながらも妻の退院日に目をつぶって ランニングデポの丹沢湖合宿に強行参加した。 内容の濃いプログラムで3日間で50k近く走ることが出来て大満足。 昨日は孫の夏生が少年野球の公式戦で大活躍。 レフトオーバーの大ホームランをかっ飛ばしたが追いつかれて同点。 延長8回表1点リードしたがその裏1アウト2塁3塁の大ピンチ。 ここでキャッチャーの夏生が敵のスクイズのサインを見破って ウエストボールを要求。 バッター三振で3塁ランナーもみごと挟殺して試合終了となった。 さすが甲子園で何度か高校野球を見た成果だろうか、 4年生であんな高度な頭脳プレーが出来るとは・・・。 俳句の世界では孫ものはタブー視されて歓迎されないが、 そんなことはどうでもいいほど大感激して書いてしまった。 お彼岸は妻と戸塚の墓に出かけて気持も天気も晴れやか、 墓参りしてる誰も彼もが善人に見えるほど心の余裕が生まれた。 先ほどベンチャーズの50周年記念番組にくぎ付けになった。
私が社会人になった頃の1965年が2度目の来日だそうだが、 その頃ビートルズも来ているはずだ。 テケテケテケテケのあのなじみのサウンドは リード・リズム・ベースギター3本にドラムスだけのシンプル編成。 だからPipeLineもWalkDontRunもおなじように聴こえる。 キーボードもヴォーカルもなくてロックの殿堂入りはすごい。 演歌の[二人の銀座]や[雨の御堂筋]も原曲は ベンチャーズだそうでこれは初耳だ。 50年前にタイムスリップしたような1時間30分だった。 これだから選挙は面白い、政治より面白い。
ここまで白黒が逆転してはっきりすると、 麻生首相が言っていた政局より政策をがますますかすんでしまう。 前回の郵政選挙は構造改革か否か、 今回は政権交代にこめたCHANGEか否かの選択。 根底には政権をたらい回しした国民への愚弄があったのだが、 結果もそうだが実に単純明快な選挙戦だった。 今朝の鳩山さんの田園調布自宅でのインタビューを見ると、 ああこれも世襲宰相の4代目かと思えて、 はたして何年もつのかなあと考えてしまった。 広島弾丸ツアーのあと恒例の館山での塩見研修会に参加した。
新顔の三沢隆久が加わり総勢16名の新記録。 初日の塩見の寮は昨年から水泳部の管理になって 若い人の熱気であふれていた。 二日目はバス停ひと駅はなれた民宿に移動。 夜は涼風に吹かれて中天に木星をいただく 吸いこまれるような天の川を堪能した。 昨年寮ではじめて会った38年後輩のさやか・舞さんが 夕方民宿の来てくれた。 ここからはルーマニアから帰国早々の今尾貞夫の独壇場。 ルーマニアはローマ帝国のローマニアがなまったもので、 東欧のここだけはラテン色が際立っているという話で盛り上がった。 帰りぎわに「老人転がしも面白い」とかのコメントを残して おふたりは帰っていった。 昨日は水泳部の総会には100名も出席して、 今朝の沖ノ島までの遠泳では30人がフィニッシュしたそうだ。 そこにはわが同期の加藤和昭も名をつらねている。 都立高校斜陽論があるなか、ここ塩見だけは往年のかがやきを 昼夜とも維持してるようなお盆休暇の印象だった。 塩見研修会8月14日~16日 参加者:荒木紀夫・稲田稔・今尾貞夫・大森康晴・岡部敬・加藤和昭・ 神田隆一・窪田輝雄・小林雅司・嶋田健雄・竹原洋一・長塚宗久・ 野村満・三沢隆久・今川加代子(敬称略)・田中収三(文責) 燕の子わが子のように目をひらく (野村満さんに捧ぐ) 裁判員開廷の朝雲の峰 炎昼やたった一人のボール投げ 絵に描いたような向日葵ビッグママさ ほろ酔いのお腹に響く大花火 (収三) 今日ランニンッグデポ発足1周年記念パーティーが
練習会の後にぎやかに行われた。 私も週2日練習会に参加して生活の一部になりきっているが、 ここまで盛上っているランデポの功労者はやはり幹部の3人だ。 持ち前の知性をおもてに出さずに 会の雰囲気作りに徹する山本正彦先生。 学生・実業団時代の華やかな記録をひかえめにして、 ランナーをぐいぐいと引っぱる山崎浩二コーチ。 秘めたる美貌?を封印して辛口でランデポを仕切る小林希美コーチ。 この3人のだれが欠けても成り立たないトロイカ体制だ。 しかも3人が3人見習いたいくらい実に謙虚な人柄。 山本先生が開会のあいさつでランニングの生産性に関して文化の お話をしていたが、具体的なプラス面も捜していきたいと思った。 村上春樹の「1Q84」が200万部の超ベストセラーだそうだ。
村上ファンとしては「1Q84」がなにを意味するか気になるところだが まだ読んでいない。 先日武道館に出かけてサイモンとガーファンクルのライブを聴いてきた。 私より1歳下のデユオであるが帰りに彼らの「LIVE1969」を購入した。 40年前演奏のCDで私も20代最後の年の血気盛んなころ、 会社をやめて独立するなら20代と勝手に決めていてあせっていた。 そして図書館から「吉本隆明1968」を借りて難解な本に挑戦している。 この三つの年代をならべてなにか共通性が見つかるかと思ったが、 なにも考えがわいてこない。 やはり1Q84の「Q」がキーワードかもしれない。 Qは9だろうが・・・ 横浜市歌は市民が日ごろから口ずさむなじみの歌だ。
100年前の開港50年記念に横浜市歌の作詞を依頼された森鴎外は その時40台半ばで軍医としても作家としても油が乗っていた。 鴎外は22歳で横浜港から留学のためドイツに旅立ったが、 26歳でふたたび横浜港にたち帰った時の思いをこめたそうだ。 昨日、姪が主催の「横濱夢語り」のライブでこのことを始めて知った。 スケールの大きな歌なので全曲を紹介させてもらいます。 わが日の本は島国よ 朝日かがよう海に 連りそばだつ島々なれば あらゆる国より舟こそ通え されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや むかし思えば とま屋の煙 ちらりほらりと立てりしところ 今はもも舟もも千舟 泊るところぞ見よや 果なく栄えて行くらんみ代を 飾る宝も入りくる港 されば港の数多かれど この横浜にまさるあらめや
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